山羊座考える。
天秤座こども。大人。青年。少年。男性。女性。老人。赤ん坊。
勤め人。学生。フリーター。ひきこもり。研究者。
病人。
障害者。
さまざまな《人》を分類するカテゴリー。
誰もが、どこかに分類される。
そのことが、果たして、【重要】なのか?
分類することで、安心するのか。
分類することで、判断するのか。
分類することで、理解した気になるのか。
自分でない人間の思考を理解するのは、いささか難しい。
だから、その指標としての分類がある。
「こども」だから、「言葉」を言い換える必要があったり。
自分とは同じ思考にはなりえないことを、知ったり。
コミュニケーションを取るために、どこかに分類することは、
【コミュニケーションの方法を探る】
その意味だけにすぎないと思う。
分類することに価値があるわけでもない。
分類することで、すべてが決定するわけでもない。
いずれのカテゴリーにも、どこかしら、あてはまるのだから。
時間や、心の状態や、環境で、変動するのだから。
私にとっては、
こども、おとな、男性、女性・・・エトセトラの分類は、ある意味、
「みな同じ」である。
同じように、【私】が向き合いたいと思うだけだ。
ただ、【伝え方】が同じであっては、通じないなと感じただけ。
その【伝え方】の「方法」を知るための「手段」として、分類があるだけでしょう。
現代社会、その分類は、どうなっている?
「手段」か?何のための?
理解できないものを、理解できないと、あきらめるための?
違うものを、違うものだとして、隔離するための?
そういう人も、いるんだと、思うだけだけどね。
何が悪いといってるわけでも、ないです。
何が正しいといってるわけでも、ないです。
私が、そうであるだけ。
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